目次

1現代文批判の誤り

2現代文の4要素を検討する

3現代文を真剣にやるべきである(まとめ)

 

1現代文批判の誤り

 最近、現代文をやたらと攻撃している人たちを見かけます。現代文のごくごく一部の「悪い問題」を見て、それをあたかも全ての現代文の欠点であるかのように言うのです。現代文の「入試」で悪い問題は1つの形式しかありません。選択式でなおかつ予備校や予備校講師により解答が分かれるという問題だけです。

 

 つまり、現代文、現代文の授業、現代文の入試、現代文の悪い問題の4つを分けて考える必要があります。しかし、批判者たちはこの4要素の中で最後のものにしか言及しておらず、しかも、最後の現代文の悪い問題のみをみてすべての現代文がだめだ、無意味だと主張しています。

 

 批判者たちは、「現代文はいらない」という極論すら主張します。彼ら(彼女ら以下同)は、単に現代文の悪い問いだけを悪いと批判しているだけです。これはどの科目でもあることです。このことによって、現代文を否定することはできません。少なくとも、私の示した4つが全てダメもしくは、現代文自体がだめであるという主張を立証しなければなりません。

 

2現代文の4要素を検討する

 現代文の最後の要素(現代文の悪問=悪い)ということは当然のことです。

 1:現代文の意義

 2:現代文授業の意義

 3:現代文の入試の意義

の3点について触れたいと思います。

 

1:現代文の意義について

 現代文は「あなたは文章で書かれたことを理解できますか?」ということを問うているのです。人が生きていく中で最も大事であるといってもいいことですね。相手の言いたいことがわかるということは生きていく中では必要不可欠です。

 

 現代文の意義はこれまでの「先人らの意見・現在の議論」を理解し、さらに自身で発展させるという中の前半の部分です。アインシュタインの「巨人の肩の上にたつ」ということばに代表されるようにこれまでの問題点や主張、データ等を踏まえて議論する必要があります。いわゆる先行研究です。これは建物でいう土台ですから、絶対必要なのです。

 

 先人の議論や現在の議論が理解できないもしくは不正確な理解なのに、どうして主張する見解が正しいといえるのでしょうか?それは、根拠がない単なる妄想でしかありません。

 

 2:現代文の授業の意義

 これは、1の目的を達成するために行われるもの(手段)です。なお、現代文の授業のレベルにばらつきがあるということはまた別の議論なので割愛します。

 

 3:現代文の入試の意義

 現代文の入試の意義は前述のように、「文章に書かれたことがわかるか?」と問うているのです。このレベルを問うのが現代文の入試の意義です。差をつけるため、難しくするのは当然ですね。大学とは学問をするところであり、大卒は総合職で企業の核となる人材となることが想定されています。

 

 先ほど述べましたように、学問をするには先行研究が必要です。そして、総合職では、これまでの歴史なり、議論なりを踏まえていることは最低限の条件です。

 

 現代文の入試によってある程度その人の基礎的な学力がわかるといえるでしょう。

 

3現代文を真剣にやるべきである(まとめ)

 現代文ができないから現代文は不要と主張するバカな人もいるようです。俺みたいな文章を書くのに、現代文は必要ないという人すらいいます。その人の文章を読んでみると、はっきりいって下手ですし、接続詞の使い方から論理展開から全ておかしいです。

 

また、基本的な学力も欠落していることもわかります。そもそも、自分で自分の文章がうまいだろ?等はうまい人はいうはずもありません。そして、接続詞や論理展開がおかしく、趣旨がはっきりしない文章を書く人がうまいとは到底いえないのです。

 

だから、こういった残念な例にならないためにも「現代文を真剣にやるべきである」と主張したいと思います。

以上